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神戸地方裁判所 昭和61年(タ)63号 判決

主文

1  原告と被告とを離婚する。

2  原告は被告に対し、金一二〇〇万円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  主文1項同旨。

2  原告は、被告に対し、次の金員を支払え。

(一) 本件の離婚認容判決が確定したときに金一〇〇〇万円。

(二) 本件の離婚認容判決の日の翌月から、原告又は被告のいずれか一方が死亡し、もしくは原告が満八〇才に達するまでの間、毎月末日限り、毎月金一五万円ずつ。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告と被告は昭和三〇年一一月二一日結婚式を挙げ、大阪市北区大工町○○番地の住所で同居し、同三一年九月一日婚姻届をしたが、その間に長男A(同三二年一月二二日生)がいる。

2  原・被告間の婚姻の破綻

(一) 原告は、被告と同居後、被告の家事能力の欠如、異常な虚栄心の強さ及びヒステリー的言動を知り、これに堪えつつ悩まされてきた。

(二) ところで被告の実妹Bが昭和三一年一一月一二日東京で結婚式を挙げることになり、原・被告とも出席の予定であったが、直前の同月一〇日になって、急に原告は勤務上の都合で出席できなくなった。原告は被告にその事情を説明し、被告が一人で出席するよう頼んだところ、被告は原告の説明、依頼を無視し、顔色を変え「私の立場がなくなる」と怒り狂い、その夜は一晩中泣いたりわめいたりして原告を非難攻撃し、原告の言に耳を貸そうとしなかった。

(三) そして被告は翌一一日吹田市千里山の実家に戻ったきり以後原告の許に帰らず、原告が誠意をつくして説得しても耳を貸すことなく、遂には原告に対し、自殺をほのめかしたり、すべてをあきらめた、次は気に入る嫁を迎えるようになどとの書面を、毛髪と共に送りつけてきたりした。

(四) そこで原告は被告との婚姻が破綻し回復不可能と判断し離婚の調停を申立て(大阪家庭裁判所昭和三二年(家イ)第九六号事件、同年六月一四日不調)、次いで離婚の訴えに及んだが(大阪地方裁判所昭和三二年(タ)第一〇四号事件)昭和四〇年八月七日原告の請求棄却の判決があり、右判決は控訴審(大阪高等裁判所昭和四〇年(ネ)第一二二八号事件昭和四五年二月一六日控訴棄却の判決。)、上告審(最高裁判所昭和四五年(オ)第五九九号事件、同年一〇月一六日上告棄却の判決。)を経て確定した。

(五) 右の各判決は、いずれも原・被告の婚姻がすでに破綻していることを認定しながらも、その原因に関し、被告が冷静さを失ったことが夫婦間の破綻を決定的なものとしたのであるが、原告が被告の妹の結婚式に出席できなくなった事情の説明が不十分であったなど、原告の責任の方がより大きく、原告が主として責任を負うべきであると認定し、原・被告共に有責であるが、原告の方により大きな責任があると認定している。

3  原告と被告間の新たな離婚原因

(一)(別居の長期化)

原告と被告は、一年足らずの同居生活の後、昭和三一年一一月一一日別居し、以後今日にいたるまで別々の生活を営み、実質的に全く他人として暮している。この期間はすでに三〇年余になり、前訴の最高裁判決からでも一八年余を経過している。

(二)(各自の生活-被告の場所)

被告は、原告との別居後、長男Aと二人で暮してきたが、その生活費、教育費はすべて原告の負担によるものであり、とくに被告は昭和五九年六月から神戸市東灘区岡本六丁目〇〇番××号所在の高額家賃のマンションに入居し原告に生活費のほか月額一八万二六五〇円もの家賃負担を強いた。原告から被告に対する昭和五四年一月から同六三年九月までの生活費等の支払いは、別表「年別月別振込額一覧」のとおりである。

なお、長男Aは昭和五九年三月京都大学理学部を卒業し、同年四月からアイ・ビー・エムに就職して立派な社会人となっている。

(三)(各自の生活-原告の場合)

(1) 原告は、被告との婚姻が完全に破綻した後の昭和三四年中訴外Cと事実上の婚姻生活を営むにいたり同女との間にD(昭和三七年一月三一日生)を儲けたが、同女は昭和四二年死亡した。

(2) 原告は、さらに昭和四三年訴外Eと結婚式を挙げて事実上の婚姻生活に入り、同女との間にF(昭和四五年七月一五日生)を儲け、円満な家庭生活を送っている。

なおEは昭和四五年三月一四日原告の母甲野よねの養子となり、甲野姓となっている。

(四)(被告の絶え間のない嫌がらせ)

原告は、この三〇年間、被告からの絶え間ない攻撃や嫌がらせに悩まされ続けて来た。

(1) 被告は、原告から生活費を受取っているにもかかわらず、その他にこまごまとお金の必要を言い立てて、次々と金銭の要求をした。原告もサラリーマンとして生活は楽でないので、月月定まった金額以上は出せないことも多く、これを拒否又は無視すると、原告の勤務先に出向いたり架電したりして、原告の同僚らに原告の悪口を言ったり、金銭の要求をくり返したりすることが度度あった。また深夜原告方に押しかけ、近所に聞こえるように大声をあげて原告らの悪口や金銭の要求をしたりした。そして、被告は、目的を達するまでは、これらの行為をやめようとはしなかった。

(2) 原告は、被告のこのような行動によって、社会的にも経済的にも、また何よりも精神的に苦しめられ続け、地獄のような生活を強いられていたので、この状態から一時的にでも脱け出し、精神的な憩いの場をもてるようにとの希望から亡C次いでEとの家庭生活を営むにいたったのであるが、被告は、同女らに対しても、激しい嫌がらせ等の攻撃を加えた。

(3) 被告は、常に亡Cを二号と呼び、Eを三号と呼んで同女らを軽蔑し、Eに対しては、甲野姓を名乗っていることを姓名詐称であると非難している。

(4) 被告は、原告とEとの間に出生のF(昭和六一年一〇月当時一六才、神戸女学院高等部在学)に対しても敵意を燃やし、女学院の理事や先生や同級生の友達等にFが三号の子だと言いふらし、女学院に通学できないようにしてやると常に脅迫している。

(5) 被告の原告への経済的要求は次第にエスカレートし、昭和五九年六月からは、前記家賃一八万円余ものマンションに入居しているほか、しばしば臨時の金員を要求し原告の勤務先や自宅に押しかけて他人に知れるような嫌がらせをするのであるが、被告は同年九月中原告方で長時間大声を出し近所迷惑な行動に出たので、原告もついに警察官の出動を要請せざるをえない事態が生じた。

(6) 原告は、被告に対し、前記の高額な家賃を負担することが困難なので、昭和五九年九月、代理人を通じて家賃がせめて一〇万円以下の借家にかわって欲しい旨を申し入れたが、被告は昭和六〇年四月までに移転することを約束しながら、昭和六一年一〇月現在その履行をしていない。

(五)(回復不能の婚姻破綻)

(1) 原告と被告との婚姻関係は、以上の諸事実から考えて現在では決定的に破綻しており、これが回復される可能性は万に一つも存在しない。被告としても、このことは百も承知のうえで、たんに原告らに対する憎悪感情から原告との離婚を拒み、前記のような嫌がらせに出ているのである。

(2) 原告は、このような場合、原・被告のいずれが有責であるかという判断を離れて、純粋な破綻主義の立場から本件離婚を認めるべきであると考える。

(3) なお原告は、被告に対し、離婚後の生活の一助にするため、原告の支払可能な範囲内でしかるべき財産分与等の離婚給付をする用意があるので、昭和五九年九月二一日付書面でその旨申し出ている。

(六)(有責性の逆転又は風化)

(1) 前訴において原告の離婚請求が棄却されたのは、主として原告側に有責性が認められたからではあるが、被告にも冷静さを失った点に責任があると認定されている。

(2) しかし、昭和三一年一一月一一日の別居以後、又は前訴一審の口頭弁論終結時以後においては、被告は単なる憎悪感情をもって、原告に対し、前記のような各種の嫌がらせをし、又は原告に過大な経済的負担を強いる等しており、一方的に破綻状態を深刻化させている。

よって前訴の場合と異なり、有責性は逆転し、一方的に又は主として被告に責任がある状態になっている。

(3) 仮に右の主張が認められないとしても、前訴にいう原告の有責性は、別居後三〇年余という長期間の経過により実質的には風化している。すなわち、原告と被告とがともかくも夫婦としての生活を送ったのはわずか一年足らずであり、すでにこの期間の三〇倍もの年数が経過している。この間原告は、経済的のみならず過大な社会的精神的苦痛を受けているのであり、比喩的に言うならば最も重い罪に関する公訴時効期間である一五年の二倍に達する年月が過ぎているのである。

原・被告間の長男Aもすでに立派に成人している反面、原告を夫とし、父としているE、Fらにしても、法的に原告の夫あるいは嫡出子となることを願うに切なるものがある。

以上の諸事実に照らし、仙台高等裁判所が昭和五八年(ネ)第三六〇号離婚請求事件において、昭和五九年一二月一四日言渡した判決のケースと同様に、本件においても原告の有責性は客観的には風化していると言うべきである。

4  以上の次第で原告と被告の婚姻は破綻しているので、原告は民法七七〇条一項五号にもとづき被告との離婚を求める。

5  原告から被告に対する離婚給付

(一) 原告の本件離婚請求が認容されるときは、被告から原告に対し、財産分与、慰藉料等の請求が予想される。

(二) 原告としては、原・被告の同居期間は一年足らずであること、被告は原告の資産形成に何の貢献もしていないこと今日まで原告の被告らに対する生活費等の支出の状況からも、被告に財産分与請求権はないと考えている。また慰藉料についても、前訴判決において、主として原告側に責任があると認定されていることからいうと、若干の慰藉料債務があるとも考えられるが、その後の被告の原告らに対する嫌がらせや迷惑行為を考えると、現在では逆に被告こそ原告に対して慰藉料債務を負担しているというべきである。

(三) そこで、仮に原告の右主張が認められない場合、或いは右主張が認められたとしても、かつては原告の妻であり、一子を儲けた女性の将来の生計について考慮すれば、財産分与、慰藉料等離婚給付の一切として、原告から被告に対し、原告の支払能力を考え、請求の趣旨2項に掲げた程度の金員の支払いをすることを適当と考え、人事訴訟手続法一五条一項にもとづき、右申立てに及ぶ。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実中、原告と被告との挙式、婚姻届をし、その間に長男Aの出生したことは認める。原告と被告は結婚後白川経理事務所の一部に居住した。

2  同2(一)の事実は争う。

同(二)の事実中、被告の妹の結婚式に原告が出席する予定であったが出席しなかったことは認めるが、その余は争う。

同(三)の事実中、原告と被告が別居したことは認める。

同(四)の事実中、原告と被告との間の訴訟は認める。

同(五)の事実中、前訴の判決は原告が婚姻破綻に主たる責任を争っている旨判示していることを認める。

3  同3(一)の事実中、原告と被告の別居は認める。右別居は原告が被告を受け入れなかったためである。

同(二)の事実につき、原告から被告に対し別表のとおり生活費等の支払いがあったことは認める。しかし被告自身も洋裁をしてAとの生計費を負担してきたし、被告が神戸市内のマンションに入居したのは、原告及びAと共に、Aの通勤の都合を考慮して選定したものである。なおその後被告は肩書住所に移住した。

同(三)の事実中、原告がその主張の女性と同棲生活をしてきたことは認めるが、原告の右女性との同棲生活は、被告との婚姻が破綻後であることは否認する。

同(四)ないし(六)の事実は争う。被告は原告との婚姻生活の回復を望んでいる。

5  同5の主張は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

1  原告(大正一一年三月一五日生)と被告(昭和二年四月一三日生)は、昭和三〇年一一月二一日村井信之助夫妻の媒酌により結婚式を挙げて同棲し、同三一年九月一日婚姻届をしたが、両者の間に同三二年一月二二日長男Aが出生している。

2  右結婚当時、原告は白川種三が理事長をしている大阪北信用組合に勤務し総務部長の職にあり、原告と被告は、大阪市北区大工町○○番地に在る家屋で原告の母よね及び弟俊一と共に同居して生活を営んだが、原告方は人の出入りも多く、勢い被告の家事は多忙であったところ、原告の母よねは生活態度が厳しく、主婦業に努める被告に辛く当ることがあって、両者の折合いは円満を欠いた。そして原告は勤務先から帰宅したあと、被告から執拗に愚痴をこぼされ、その応対に悩まされることがあった。

3  被告の妹Bが昭和三一年一一月一二日に結婚式を挙げることになり、当時被告は妊娠六、七箇月であったので出席せず、原告のみが同月一一日(日曜日)の夜行列車で東上し出席することを予定していた。一方被告は両親が右結婚式に出席のため東上するので、同月一〇日の夕刻から実家の留守番に行くことになっていたが、同日の午後帰宅した原告は、勤務先の大阪北信用組合の都合から取引先との翌一一日の懇親会に出席する用事ができたので、結婚式に出席できなくなった旨被告に告げたところ、被告は、原告の約束不履行をとがめ、従来からのよねの被告に理解のない冷たい態度と思い併せ、激しく悲嘆のすえ、よねに「いろいろとお世話になった。」と告げ、そのまま実家へ留守番のため帰った。翌一一日原告は出勤したが、被告が原告宅に電話したところ、よねが電話に出て、被告に原告宅へ帰る必要はない趣旨を告げた。そのあと被告と原告は会うことがあったが、原告としては、よねと被告との確執を調整する手立ても見出せない始末に、被告は、生きるのが苦しい、すべてをあきらめた旨の手紙に自己の毛髪若干を同封して原告に送り届けるといった激しい行動をとった。

そのあと被告の両親や媒酌人の村井らをまじえ、被告からよねらに帰宅を懇願したが、原告とよねは被告の申入れを拒否し同月下旬原告から被告に協議離婚届書に署名押印を求めて被告に拒絶される事態もあり、以後原告と被告は別居が続いた。

4  原告は、昭和三二年一二月被告に対し婚姻を継続し難い重大な事由があることを理由に離婚訴訟を大阪地方裁判所に提起したが、昭和四〇年八月七日原告敗訴の判決があり、第二審も昭和四五年二月一六日控訴棄却の判決、次いで同年一〇月一六日上告審において上告棄却の判決が言渡されて原告の敗訴が確定した。

5  右離婚訴訟における原告敗訴の理由は、原告と被告の夫婦関係は遅くとも原告が被告に協議離婚届書に署名押印を求めた時に破綻し、その復元の見込みもなくなったと解するのを相当とするが、その破綻の責任につき、被告は原告との一年にやや満たない同棲期間のうち、二度にわたって妊娠しており、原告宅は被告の実家に比べて家事多忙であり、原告の母よねはしばらくおくとして、少くとも原告は、既成の原告側世帯に組み入れられ、原告と同棲するに至った被告の環境の変化、二度の妊娠における精神的生理的条件の変動に十分の配慮を加えつつ、原告宅での被告の家事処理能力の漸増、環境への適応を期待すべき責務を有していたものといわなければならない。にもかかわらず、原告はこれを怠り、よねとともに一方的に被告に対し、被告自身にとっても過大な家事処理能力を期待し、かつ被告を非難していた。その反面被告は原告側の期待と非難とを受けて感情が激しく動揺していた。被告が昭和三一年一一月一〇日の午後留守番のため実家に帰ろうとした際、原告は被告の妹の東京における結婚式への出席予定を突然撤回したのであるが原告は被告が十分納得できるようにその撤回の理由を具体的に説明し説得した形跡を認めることができない。そして原告の母よねは、被告の実家への帰宅の機会をとらえて追い出し離婚を図ったというべきであり、原告もまた結局よねに同調して夫婦協力義務に違反し、ついには被告に対し一方的に協議離婚に応ずるよう要求したものである。

他方、被告がよねの原告宅へ帰る必要はないとの趣旨のことばに冷静を失ってしまったことが夫婦関係の破綻を決定的なものとするに至らしめた一つの契機をなしているものであるけれども、原告側が被告をして冷静を失わせた責任はより大きいといわなければならない。してみると本件離婚の破綻については原告が主として責任を負うべきであり、原告の離婚権の行使は信義則に反するものであって法の認めないところと解するほかはない、というものであった。

以上の事実が認められる。

二  ところで、原告は、本訴において、右離婚訴訟の確定判決以後の原・被告双方の事情から、なお婚姻を継続し難い重大な事由があることを理由に被告との離婚を請求するものであるから、以下これを検討する。

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

1  原告は、昭和三四年四月から大阪学院大学附属高等学校の教員に転職し、昭和五〇年ころから同高校長に就任して現在にいたっている。被告とは別居状態のままであり、昭和三四年中にCと事実上の夫婦として結婚生活を営み、その間にD(昭和三七年一月三一日生れ、同年二月一四日認知届出)が出生し、同人は昭和六二年現在大学の大学院に在学している。Cは昭和四二年に死亡したが、原告は昭和四三年中E(昭和七年二月一一日生)と結婚し、事実上の夫婦として昭和五五年ころから肩書住所地で母よねとも同居して家庭生活を営んでいる。なおEは昭和四五年三月母よねと養子縁組を結んだので、甲野姓を名のり、原告とEとの間に昭和四五年七月一五日Fが出生し、同女は昭和六二年現在神戸女学院高等部に在学中である。

2  一方、被告は、原告と別居のあと、長男Aを出生したが、以後Aと共に生活し、原告から生活費の仕送りを受け、また自らも洋裁等の内職をして生計を維持してきた。当初は原告からの生活費の仕送りも乏しかったので、被告とAの母子二人の生活は苦しいこともあったようであるが、原告は生活費の仕送りを絶やさず続けてきた。

原告はAの教育には蔭ながら留意をしたようで、Aは、高校を卒業して一年浪人ののち、昭和五一年京都大学理学部に入学した。Aは大学に入学後口唇炎等を患い、随分と病気に苦しみ、長期間大学を休学せざるをえず、結局大学は八年間かかって昭和五九年三月に卒業した。この間Aは原告に病気のことは十分に連絡しなかったようであるが、その頃から原告は被告やAからの相当に高額の生活費等の要求に困惑しながらも、何とかその要求に応じてきた。

原告が生活費の仕送りを多少遅れることがあったりすると、被告は原告に厳しく催促し、原告の家庭に電話をかけ、かつ原告の勤務先に押しかけてまで原告を難詰することがあり、勢い原告は被告との面会を毛嫌いして避けるようになって、ますます被告を意固地にさせることがあり、交流がぎくしゃくした。

しかし、原告としては、Aの病気療養のためには転地が必要との念慮から、昭和五五年中被告ら母子が大津市に転居するのに配慮したりした。とりわけAの教育費等については仕送りを欠かさず、昭和五八年中には同人が入用というので、二〇〇万円余に及ぶ乗用自動車の購入費を支出したりした。

Aは昭和五九年三月京大を卒業して、日本アイ・ビー・エム株式会社に就職し、大阪支店に配属されたが、同人の通勤に必要ということから、被告とAは同年五月神戸市東灘区岡本にある高級マンションに入居し、原告は、被告らに生活費の仕送りのほか、二〇〇万円の保証金と賃料等として月額一八万円余を支出する仕儀となった。

同年九月ころ、原告においてマンションの賃料等の振込み支払が少し遅れることがあったところ、被告は、夜半原告方居宅に押しかけ、大声を上げて原告を難詰し、原告は警察官に出動を要請して被告をとり静めてもらうといった事態も生じた。

一体に被告はヒステリックな性格で、原告が被告と応接してもまともな会話が難しいことから、とかく被告を避けようとしたこともあって、ますます意固地になって、生活費の仕送りについても被告に厳しい要求をしたことがあった。また原告がCやEと事実上の結婚をし、同女らとの間で家庭生活を営んだのであるが、被告は、ことさらに同女らに対して嫌がらせの言動をとり、Cを二号、Eを三号と呼んで、同女らを原告の妻として認めないと揚言し蔑視し、あまつさえFに対しても、冷酷な嫌がらせの手紙を書くなど、いささか常軌を逸した振舞いに及んだ。

3  Aは、昭和六一年中、結婚を考えるようになり、同年一一月中前記神戸市内のマンションから退去して被告と別居するにいたった。一方被告も右マンションを引き払い、そのころ肩書住所に転居したのであるが、被告もAも右マンションから転居することを原告に連絡せず、原告としては被告の消息を知らされないままに過ぎた。なお原告が被告らに仕送りした昭和五四年一月から同六三年九月までの生活費等は、別表の「年別・月別振込一覧」のとおりであって、少なからぬ生活費等を仕送っていることが窮える。

4  Aは、これまで原告が父として同人に尽くしてくれたことに感謝しているものの、原告に対して釈然としない気持を抱いているようで、原告と被告の夫婦関係の現実から目をそらし、原告と被告の離婚は望まないと述べ、被告も原告との離婚は肯んじられないと強固な姿勢を崩さないでいる。一方、原告自身は、EやFらとの家庭生活があり、被告との婚姻生活を回復することはとうから断念しているのであって、被告に対する愛情はなく、別居状態は長期間にわたり被告との応対に疲れ離婚意思は固い。そして被告に対しこの際後記のような財産分与としての金銭の支払を申出て離婚を強く表明している。

以上の事実が認められ、〈証拠〉中右認定に反する各〈証拠〉はそのままを採用することができず、他に認定を左右するに足る証拠はない。

右認定の事実によれば、前記離婚訴訟の判決以後、原告と被告との別居状態はそのまま続き、原告としては、亡C及びEとの事実上の夫婦生活は、被告との婚姻生活が破綻したのちのことであって、原告がなお被告との離婚が認められていない状態のもとであったとはいえ、これをいちがいに原告の被告に対する不倫行為ときめつけるのは相当でないのであり、その後の原告と被告やAとの間にあった交流、とりわけて原・被告間の長男Aは被告がその手許で養育したものであるが、原告もその成長に留意を怠らなかったものであり、そのAもいまでは成人して大学を卒業し、就職して自らの生活を維持できるまでにいたっていること、その間原告自身は被告に対してそれ相応の生活費等を仕送ってその生計を支えてきたこと、別居の期間はすでに三三年に及び、原告の被告に対する愛情は全く喪失しているのであり、被告とてもその内実は原告との婚姻生活の回復が期待し難いものであることを認識しているといわざるをえない。原告と被告の婚姻生活は全く破綻したというべきであり、回復の余地はなく、もはやこの婚姻破綻の責任を原告にのみ負わせるのは酷である。そうすると、原・被告間には民法七七〇条一項五号にいう婚姻を継続し難い重大な理由があると認めるのが相当であり、原告の離婚の請求は理由がある。

三  次に原告は被告に対し離婚給付を申立てるので判断する。

人事訴訟手続法(以下「人訴法」という。)一五条一項は、夫婦の一方が提起する離婚の訴においては財産分与等のいわゆる附帯申立をなしうることを規定する。そして右財産分与の附帯申立は、財産分与を受け得ると主張する請求者からその相手方の出捐を余儀なくされることになる者に求めるのが通例であるが、財産分与に関する民法七六八条の規定をみると、同条は、離婚をした者の一方は相手方に対し財産分与の請求ができ、当事者間における財産分与の協議が不調・不能なときは当事者は家庭裁判所に対して右の協議に代わる処分を請求することができる旨を規定しているだけであって、右規定の文言からは、協議に代わる処分を請求する者は財産分与を請求する者に限る趣旨であるとは認められない。また、人訴法一五条一項に定める離婚訴訟に附帯してする財産分与の申立は、訴訟事件における請求の趣旨のように、分与の額及び方法を特定してすることを要するものでなく、単に抽象的に財産分与の申立をすれば足り、裁判所に対しその具体的内容の形成を要求すること、いいかえれば裁判所の形成権限の発動を求めるにすぎないのであって、通常の民事訴訟におけるような私法上の形成権ないし具体的な権利主張を意味するものではないのであるから、財産分与をする者に対してその具体的内容は挙げて裁判所の裁量に委ねる趣旨でする申立を許したとしても、財産分与を請求する側において何ら支障がないはずである。更に実質的にみても、財産分与についての協議が不調・不能な場合には、財産分与を請求する者だけでなく、財産分与をする者のなかにも一日も早く協議を成立させて婚姻関係を清算したいと考える者のあることも当然のことであろうから、財産分与について協議が不調・不能の場合における協議に代わる処分の申立は財産分与をする者においてもこれをすることができると解するのが相当である。そこで人訴法一五条一項による財産分与の附帯申立は離婚請求をし、財産分与を出捐する者においてもすることができると解する。

本件においても、離婚請求をし、財産分与を出捐する原告から被告に対し財産分与すると申立てるのであり、原告は、離婚に伴ない相手方配偶者の被告に経済的不利益の問題が生ずるのを慮って、本訴に附帯して問題の解決を図ろうとするにあると考えられるが、原告の申立は相当と考えるので、原告の申立の趣旨を考え併せて、本件における財産分与の相当な金額を定めることとする。

ところで財産分与の性質・内容は、各種の要素、すなわち夫婦共同生活中の共通の財産関係の清算と、離婚を惹起した有責配偶者の離婚そのものに起因する相手方配偶者の損害の賠償と、離婚後の生活についての扶養といった内容を含むと解されている。本件についてみると、原告の資産・収入がどの程度であるか必ずしも明らかではないが、前記認定のように、原告と被告の同居期間は一年に満たず、以後長期間にわたって別居状態が続いたもので、この間原告がなにがしかの資産を形成しているにしても、被告自身がこれに寄与したとは認められないし、また今日原・被告の婚姻生活の破綻につき原告を有責ときめつけるわけにはいかないこと、原告は、被告との別居後、被告に対し、被告やAの生活費等を分担し、それ相応に誠実に対処してきたこと、原告自身老母を抱え、被告との婚姻生活破綻後に形成された家庭があること、原告と被告の年齢、生活環境等諸般の事情を考えると、原告から被告に対する財産分与の額は、原告自身の申立てる金額を斟酌し、一二〇〇万円をもって相当と考える。(なお原告は、財産分与額として、一時金のほか、原告又は被告のいずれか一方の死亡、もしくは原告が満八〇才に達するまでの間、毎月一定の金額の支払をも申し立てているが、これまで原告から被告に対し毎月の生活費等の仕送りをめぐって生じた軋轢を考え併せると、この際一時金をもって支払うのが相当である。)

してみると、原告は被告に対し、財産分与として金一二〇〇万円を支払うべきである。

四  以上の次第で、原告の本訴請求中、被告に対する離婚の請求は理由があるから認容し、財産分与については原告から被告に一二〇〇万円を支払うこととし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 坂詰幸次郎)

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